幼少期(0歳〜2歳半) アメリカ テキサス州
- 父親の仕事の関係で、1歳になる前に渡米。
- 現地の保育園に通っていたらしいが、ほとんど記憶がない。最初は水槽の金魚を眺める日々だったという。そのうち保育園にも馴染め、英語と日本語が混ざるようになったという。
- この経験があったから発音が良いのではと言う人もいるが、あまり関係がないと思う。
- それよりも環境の変化や分かり合えない経験の方が、人間形成のプロセスの中で大事だったと思う。
中学3年生(10日間のホームステイ) アメリカ カリフォルニア州 LA
- 学校のクラスメートで夏休みを利用してホームステイをする子が何人かおり、自分も行ってみたい!と、たまたまチラシを見つけて参加。
- 10人ぐらい全国から集まった小学生から中学生のグループで一緒に渡航。ヒスパニック系夫婦の家庭に、他の参加者の女の子と一緒に滞在。
- 英語は好きだったが、ちゃんとコミュニケーションをしたことがなくて、とても大変だった。通じ合えないなりにも真摯に向き合ってくれたホストマザーと最後お別れするとき涙が出た。この時に「また会いたい」と思えたことが、大学で留学するきっかけになったと思う。
大学進学(3年半) アメリカ アーカンソー州
- 日本の大学に進学して交換留学することも当初は考えていたが、様々なことを考慮して正規生として海外留学することになる。
- そのときの夢は「国際公務員になって世界を平和にすること」。壮大な夢を描いてしまったが、その分留学への覚悟や英語への真剣度が高まったと思う。
- 専攻は国際関係学。しかし国際問題よりも、紛争の原因となる発展途上国の経済問題に興味が湧く。
- 日本人以外の留学生が多く、国際交流のイベントが頻繁に行われていた。このときに「日本人としての自分」を自覚した気がする。
- 中学高校ではなるべく目立たないようにしていたが、アメリカに留学してようやく「大学デビュー」を果たした気がする。一気に社交性や行動力が開花した。
インターンシップ(1ヶ月) バングラデッシュ ダッカ
- ひょんなことで、バングラデシュの貧困女性たちに融資をして自立を促すマイクロクレジットの取り組みを広めノーベル平和賞を受賞した「グラミン銀行」の存在を知り、応募する。
- しかし、インターンシップと言っても実際に働く訳ではなく、毎日その銀行の取り組みについて勉強するものだった。
- 初めていわゆる「発展途上国」に滞在し、現地の空気を肌で体感する。匂い、味、騒音など一生忘れられない経験だ。
ホームステイ&インターンシップ(1ヶ月半) インド ムンバイ
- バングラデシュで出会ったインターン仲間のインド人の家にホームステイする。
- 今でこそ親友だが、当時はよく知らないインド人の家に滞在するなんて、若気の至りもいいところだと思う。
- インターンシップという形で市内の幼稚園のクラスに1ヶ月ほど毎日見学しに行った。
- 南アジアの濃い人間関係(家族・友人)に触れ、人とのつながりの豊かさを知る。もっとこの地域のことを知りたいと思い、大学院で専攻することに。
ボランティア通訳 Peace Boat(約100日間)
- 世界一周の旅を渡航費なしで出来ると知り、応募する。補欠だったが繰り上げ合格となり、大学卒業後に日本に帰国し横浜港から出発する。
- 約20の港に滞在したが、滞在期間はほとんどが丸1日で、長くても3日ぐらい。
- 船内で通訳と翻訳の仕事をし、寄港地で現地ガイドの通訳をする仕事もあったが、自由時間も多かった。
- 色んな国や地域を訪れることが出来たが、それよりもそこで出会った通訳仲間との出会いは大きかった。
大学院進学 イギリス エジンバラ(約1年間)
- 在籍していたのは1年だったが、授業履修後は金欠により帰国したので、実質7ヶ月ぐらい。日本で修士論文を書く。
- 色んな意味で人生の分かれ目。夢を描くよりもまずは自分自身が経済的に自立しなければいけないと思ったし、国際開発という分野に大きな疑問を持つようになった。自分がこれまで頑張って留学生活を乗り越えてきた意味を失い、途方に暮れる。
- 大学院の勉強は本当に辛かったが、美しい街でイギリスの文化に触れられたことは自分の人生の糧になっていると思う。