「祈る人」

「この世界は祈る人たちによって支えられている」

一年前の私は、これにはっきりと否定した。

見えない世界の話というより、ユング心理学における元型の話である。「Praying anima(祈る女性)」という心象を持っているかという話である。

「そんな存在は感じられない。誰のことなのか一体分からない」と。

今でも、その著者が意図したところが正確に分かっているのかどうかは分からない。

でも、ある人を通して「祈る人」の存在に、はっと気付かされたことがある。

2年前、あるイベントを通して知り合ったその女性は、同い年とは思えないほど大人びていて、かつ俗世離れしたような、不思議な人だった。

東京という場所でイベントを企画したり調整したりする人だから、てきぱきと物事を進めるタイプではあったが、どこか儚げで、ここではない遠くを見つめている気がした。

近づきたいと思いつつ、とりあえず打ち解けるためのに投げかける、

「どこに住んでるのー?」といった半分中身の無い質問ができなかった記憶がある。

その一年は彼女にお世話になることが多かった。グループで旅をしたり。しかし、私の身辺や自身の様々なことによって、しばらく遠ざかってしまっていた。

ようやく今年の11月、その美しい人にもう一度会えた。

その人の透明感はさらに増して、まるでこの世の人とは思えなかった。

毎年恒例の収穫の感謝祭。

彼女は、去年の人たちの想いを運び、その感謝祭を無事に形にすることができた。感謝の循環をつないだのだ。最後の締めくくりの言葉の際に彼女が流した涙を見て、

「あぁ、女神ってこういうことなんだな」と深く納得した。

「こういう女性が祈っているから、この世界は存在できるんだ」と。

先程の心理学者の話によると「祈る女性」という元型が最もよく表現されているのは『竹取物語』によるかぐや姫だと言う。

出自はともかく、人間として育てられ、苦しみ、そして喜びとともに月に還っていく。

消え入りそうなくらい儚げで、美しいその人が本当にこの世の人なのか分からない。私の知る由もないことである。

しかし、その人がいるからこそ、この世が少し明るくなる。

希望が持てることは確かなんだ。

暗闇に凛然と輝く月を見つけたときのことのように。

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