「苦労は買ってでもせよ」というのは、私の祖母がよく言っていた言葉だそうだ。私は全然覚えていないが。

痛みを自ら進んで選ぶ人は、なかなかいないだろう。

でも、その痛みが自分にとって、世界にとって、大切なことを知らせてくれる鍵だったら…。進んで手にすることはなくても、その痛みが起こったとき、向き合い方が変わるだろうか。


もともと海外の大学に進学しようと思ったきっかけは、世界が抱える痛み、例えば貧困や戦争などで苦しむ人達を救いたい、と思ったからだ。

平和を作り出すのは、「国連の職員」という職業しか知らなかったから、まずは留学をし、英語を学ばなければ、と思ったのだ。

しかし、学びが進むに連れ、違和感を感じるようになってきた。これは、私が目指していた世界じゃない、と。

ここでは詳しく書かないが、それに気付いたときの絶望感は言葉に表せられない。

「こんなに努力して留学してきたのに、全て水の泡だ」と。

「どうして早く気付かなかったのか」「たくさんの犠牲を払ってまで留学してきたのに」って。たくさん自分を責めた。

その自責の念から逃れるように、社会の痛みに、自分の心の痛みに目をそむけた。

心を閉ざした。


ようやく心を開き、感覚が戻ってきたのが、去年。NVCと出会い、自分の抱えてきたトラウマや痛みと向き合う日々が始まった。

幼少期の学校での出来事や、家族とのすれ違い。思い出すだけで、胸がキューッとなる出来事に心を開いていった。

するとその度に、思いがけない宝物がたくさん出てきたり。

「こんなにも自分には愛おしく感じる存在があったのか」と目を見開かされる。

そしてその「痛み」を受け入れる器が少しずつ大きくなってきたからだろうか、ようやく世界の痛み、社会の痛みにも目を向けられるようになってきた。

また感覚が開いてきたのだ。

ジョアンナ・メイシーという仏教哲学者・環境活動家が書いた『アクティブ・ホープ』や『カミングバックトゥライフ』という本の存在も大きかった。

そして、世界の実情を学ぶ上で、大きな悲しみ、痛みがやってきた。

無力感。絶望感。

太古から息づく森林が燃え、もう二度と戻らないようなスピードで氷山が溶け、海の生き物たちが人間の出す有害物質で苦しんでいることに感覚を開く時、大きな痛みがやってきた。

その痛みにこの数日間、向き合っている。

『無意識がわかれば人生が変わる』という本で、著者の由佐美加子さんは、「痛みはなくならないし、なくそうとする必要もない」「『あってもいいんだ』と受け入れるプロセスが大事」と言っている。

この「痛みを避ける生存適合OS」のことを彼女はメンタルモデルと大きく4つに分けて紹介している。

自分がどのメンタルモデルかどうかを知るのも、痛みと向き合う方法の一つである。

私は「価値なしモデル」が強いと思っていたが、今ここに来て「ひとりぼっちモデル」が見えてきた。

このメンタルモデルが本来目指している世界は、「個として誰もが自立していながら、人が命の全体性の一部を担っている…というワンネスの感覚の中で、誰もが自分の人生を生きている」というもの。

地球や、ほかの生き物たち、そして先祖たちと一つにつながっている感覚。

大いなるものとつながる感覚。そしてだからこそ、その一部の苦しみに耐え難い。

私にとって、家族、友人が苦しむのを見る時、手を差し伸べる、この「思いやり」と、世界に対する「痛み」は、そんなに遠くない。

むしろ、ひとつである。

身近な人や自分に対する痛みに心を開くとき、世界への痛みにも心を開いている。

なぜなら、私たちは本質的に一つだから。

呼吸を通して、食べ物を通して、地球と、地球に住む全ての人たちと、私たちはつながっている。

バタフライ・エフェクト、という言葉があるように、蝶々の羽ばたきが、地球の別の場所で竜巻を起こす、というぐらいに。

開いていく痛み、開いていく自己の感覚に身を委ねること。

抵抗しなくても良い、ということ。

なぜなら、その痛みこそが、私が本来持つ「愛の力」であり、強さでもあるから。

強さ。一人で、誰かに勝つための強さではなく、大きないのちを信頼する強さ。

コントロールを手放し、生命のつながりの中に身を委ねた時に感じる、大きな大きな広がり、安心感。

その安心感に、自分自身がつながっていること。そこから始めること。

それはきっと、世界を変える力である。

権力でもお金でも、知識でも無い。

子どものときに持っていたような、全てとつながっている安心感。

一瞬一瞬の、いのちの輝きに身を任せる安心感を。

Inner peace makes outer peace.

内側の平和から、外側の平和につながること。

焦ることなく、まずはそこから始めよう。